幸田露伴

1894年、腸チフスにかかり死にかけるが、翌年に結婚、それ以降の数年で『ひげ男』『新羽衣物語』『椀久物語』を発表、また当時としては画期的な都市論『一国の首都』『水の東京』も発表する。
この頃に同世代の尾崎紅葉ととも「紅露時代」と呼ばれる黄金時代を迎える。
「写実主義の尾崎紅葉、理想主義の幸田露伴」と並び称され明治文学の一時代を築いた露伴は、近代文学の発展を方向づけたとされる。
また尾崎紅葉・坪内逍遥・森鴎外と並んで、「紅露逍鴎時代」と呼ばれることもある。