綱淵謙錠

出版社のサラリーマン生活は月給8千円、しかも6ヶ月は見習期間で支給されるのはその8割だった。
「会社から帰ると汗っかきの私は上がり框に腰掛けバケツで足を洗い、その足を拭きながら妻が涙を落とすこと度々で、見ないようにした」と後年語っている。
1953年秋には同社編集部長宅に居候。
翌年12月校閲部異動、1955年秋編集部に。
32歳で谷崎潤一郎の担当になり、1959年同全集を刊行、翌年にはエリオット全集、子母澤寛「蝦夷物語」「逃げ水」などの出版に携わった。
氏のジャンル歴史小説への“のめり込み”は30歳代前半に子母澤の「新選組始末記」との出会いにあったといわれ、長谷川伸や海音寺潮五郎の史伝的作品にも関心を寄せた。
1970年築地本願寺で行われた三島由紀夫の葬儀の手伝いが編集者としての最後の仕事で、1971年3月中央公論社を退社する。