日本一古い

現存する日本で最も古い鉛筆は徳川家康が使った鉛筆とされています。。1616年に亡くなった徳川家康の鉛筆は、現存する日本で最も古い鉛筆で、削る種類のものです。鉛筆は、久能山東照宮で、硯箱に入った状態で発見されています。硯箱は 1664年に作られた宝物目録『具能山御道具之覚』に記載がありますが、

鉛筆の記載はなく、硯箱に入っていたことから、家康のものとされています。

近代の影武者

イギリス軍のモントゴメリー将軍にはクリフトン・ジェームズ中尉という影武者がいた。
彼はノルマンディー上陸作戦を隠蔽する目的で地中海にモントゴメリー将軍がいるかのように偽装するために一時的に用意された影武者だった。
他にも、ソ連のヨシフ・スターリン、イラクのサダム・フセイン、北朝鮮の金正日、リビアのカダフィ大佐に影武者がいたという説がある。
暗殺者がカダフィ大佐を銃撃して暗殺したかに見えたが、殺されたのは影武者だったとの話が伝えられている。
消される可能性の高い者として存在すること。非常に悲しくなる生き方かもしれない。

てんまのミッション

てんまは先代のX線天文衛星である「はくちょう」による成果を発展させるために開発された。
はくちょうはX線星、X線バースト、硬軟X線星雲などを観測し成果を上げたが、同時にその観測結果は新たな疑問をもたらした。
この問題を解明すべく、てんまは、はくちょうよりもエネルギー分解能に優れた蛍光比例計数管を主観測器として搭載し、この他に、軟X線反射集光鏡装置、広視野X線モニター、放射線帯の検知とガンマ線バーストの記録を行なう検出器を搭載した。
てんまの搭載する蛍光比例計数管は、太陽観測衛星「ひのとり」でも使われたガス蛍光比例計数管を発展させたものでありであり、X線天文衛星としては初めて採用された。

天竜川

赤石山脈・木曽山脈という日本の屋根に挟まれながら流れる天竜川水系は、その急峻な地形ゆえに古来より水害に悩まされた。
古くは701年に天竜川最古の水害記録が残される。
特に伊那谷の出口に当たる天竜峡付近は川幅が急激に狭隘となることから、伊那谷は特に洪水の被害が顕著であった。
天竜川最大の洪水は1715年の「未満水」と呼ばれる洪水で、伊那谷はあたかも湖水のようなありさまだったと記録に残されている。
これに対し、流域の住民は様々な方法で水害に対処していた。

ゴードン・ブラウン

1951年スコットランドのグラスゴー生まれ。
父はスコットランド長老派教会の牧師であった。
ファイフ州のカーコーディー高校在籍時にラグビーの競技中の事故で網膜剥離を患い左目を失明しており、現在は義眼を用いている。
成績優秀により16歳でエディンバラ大学へ進学し歴史学を専攻、優等の成績で卒業した。
1982年に労働党左派の政治家ジェームズ・マクストンに関する研究でエディンバラ大学より博士号を取得している。

マル優

過去にはマル優とは別枠で郵便貯金の元本350万円までの利子に対する所得税を非課税にできる郵便貯金の利子に対する非課税制度という物があったが、日本郵政公社の民営化に伴い2007年9月30日をもって廃止され、他の民間金融機関と共通の非課税枠に改められた。
2002年まではマル優・特別マル優・郵貯マル優とも満65歳以上の人も制度対象者であったが、2003年より対象から除外された。
2002年までに契約された預金や郵便貯金・国債・地方債の利子については経過措置として2005年12月まで非課税扱いが継続されていたが、2006年1月1日をもって制度適用は廃止された。

田中星児

音楽教師をしていた両親の赴任地である奈良県御所市で出生、小学校3年生の時大阪府大阪市へ転居。幼少から音楽的環境に恵まれていた。
大阪府立阪南高等学校在学中からオーディション番組やのど自慢などに参加し、法政大学文学部在学中には1966年にはTBS『ナショナル10人抜きのど自慢』優勝、1968年にはNHK『NHKのど自慢全国大会』優勝、シャンソンコンクールで入賞、といった実力を発揮する。
その華やかな経歴や抜群の歌唱力が話題になり、1970年に、NHKの音楽番組『ステージ101』のレギュラーとなり、翌年には同局の幼児番組『おかあさんといっしょ』の初代うたのおにいさんとなる。
1976年に、「ビューティフル・サンデー」が80万枚の大ヒット。
同年の『第27回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。

西村京太郎のエピソード

西村京太郎に纏わるエピソードを調べてみた。
赤川次郎らと同じく原稿は全て手書きで書いている。
また、この原稿が神奈川県湯河原町にある西村京太郎記念館に不定期に展示される。
ちなみに原稿を書く時には100円のボールペンを使い、最低でも毎日原稿用紙15枚分は書くことを長年の日課にしていると語っているそうだ。
また、原稿用紙は横長の特別注文によるものである。
寝台列車の廃止について「何を書こうか悩んでいたとき、題材を見つけようと東京駅に行ったら、折しもブルートレインブームで、それを元に「寝台特急殺人事件」を書いた。
もし、寝台列車がなかったら、一生売れない作家だったかもしれない。

有島武郎の生い立ち

東京小石川に旧薩摩藩士で大蔵官僚の有島武の長男として生まれる。
母は幸子。
武郎4歳の時、父の横浜税関長就任を機に一家で横浜に移る。
父の教育方針により米国人家庭で生活。その後、横浜英和学校に通う。
このころの体験が後に童話『一房の葡萄』を生むことになる。
10歳で学習院予備科に入学し、19歳で学習院中等全科を卒業。
その後、札幌農学校に入学。教授の新渡戸稲造から「一番好きな学科は何か」と問われ「文学と歴史」と答えたところ失笑を買ったという。
内村鑑三や森本厚吉の影響などもあり、1901年にキリスト教に入信する。農業学校卒業後に軍隊生活を送り、その後渡米。
ハバフォード大学大学院、さらにハーバード大学で学び、社会主義に傾倒しホイットマンやイプセンらの西欧文学、ベルクソン、ニーチェなどの西洋哲学の影響を受ける。
さらにヨーロッパにも渡り、1907年帰国。
このころ信仰への疑問を持ち、キリスト教から離れる。

ドンキホーテの魅力

旧態依然としたスペインなどへの批判精神に富んだ作品で、風車に突進する有名なシーンは、スペインを象徴する騎士姿のドン・キホーテがオランダを象徴する風車に負けるという、オランダ独立の将来を暗示するメタファーであったとする説もある。
実在の騎士道小説や牧人小説などが作中に多く登場し、書物の良し悪しについて登場人物がさかんに議論する場面もあり、17世紀のヨーロッパ文学についての文学史上の資料的価値も高い。
主人公の自意識や人間的な成長などの「個」の視点を盛り込むなど、それまでの物語とは大きく異なる技法や視点が導入されていることから、最初の近代小説ともいわれる。
年老いてからも夢や希望、正義を胸に遍歴の旅を続ける姿が多くの人の感動をよんでいる。